モズグス様フォーエヴァー そして、ベルセルク論

まず『ベルセルク」の面白さというか、ウリの部分で確認を取っておきましょう。細かいディティールまで練りこまれた世界観?主人公のガッツが時折見せる優しさ?…いや、それは違う。そうではないでしょう(笑)
やっぱり『ベルセルク』の題名通り、「すげえぞ!さずが超越者!ほんとに死なねえぜ!!」…なのでしょう(笑)

娘を人質にとって敵を仕留め、ナイフが刃折れる程切り刻む、どっちが悪役かわからない程の狂気。もう少し当たり障りのいい言い方をすると、攻撃性が有余らないと立っていられない程の敵と“死にもの狂い”さ。その後、“最初の気持ち”と言われてしまう『ベルセルク』の最初の気持ちはそこではないかと思っています。ここに合意が無いと話が先へ進み辛かったりします(笑)

昔から一般社会からはみ出る事を物ともせず強く生きている人間。“アウトローヒーロー”という者がドラマの世界で1ジャンルとして確立されてきたと思います。『ベルセルク』は復讐の鬼という“アウトローヒーロー”の究極形…というよりその“アウトローヒーロー”のさらにはみ出し系ですね(笑)
人間が、ちょっと強いくらいの人間でも、どうしようもない敵と戦おうとしたら狂う寸前くらいの精神力じゃないと戦えない。ガッツにちょっとおセンチな部分があるのも、不幸な生い立ちがあるのも、パックがお調子を取るのも、その“狂”の怖さを和らげる、あるいは際立たせるための方便でしかなく、グリフィスやキャスカはガッツから狂気を導くためのスイッチでしかない。
だから、ほら、物語がグリフィスとガッツの関係を軸としながら、グリフィスがガッツに入れあげ執着する様は、エメラルダスが宇宙戦士トチローにベタ惚れ状態のように、な〜んか説得力が無い!(爆)

それが「黄金時代編」前の事で、「黄金時代編」の終幕、蝕=カタストロフを完成させると同時に、この物語は、その方向性が大きく違ったものになった…とそう思うのです。
たとえば、再三言って来ましたが「黄金時代編」の蝕では、鷹の団はほぼ全滅しているのに対し、「聖誕祭の章」ではたまごっちさん(仮名)、モズグス様をはじめとした、納得の殉教者を出したのみで、主要な人物は、ほぼ全員が生き残っています。
(…へ?アルビオンの難民?マンガ内で“群衆”と捉えられた人たちの人権は、マンガの全般的表現か、その上の話になりますので、今回は置いておきましょう)
たとえば、キャスカです。「黄金時代編」の終わりで、強姦され、堕胎し、精神に異常をきたす、というかなりキツめの結末を迎えている娘ですが、当初、ガッツの絶望の象徴としてあったと思うのです。しかし、「聖誕祭の章」のはじめで、ガッツの“唯一の希望”という視点に変わっている。…とも言えますが、正直言うと、ここらへん解釈は難しくて混沌としています。しかし、おそらくキャスカというカードはその状況状況で絶望にも希望にも映り、二転三転します。

…が、そこはまあそれとして僕の絶望としての解釈を続けると、「すげえぞ!さずが超越者!ほんとに死なねえぜ!!」…とか言っちゃう人は、死んだらそれまでで天国も地獄もない!という世界観に生きているはずなので、なまじ生き残られてしまう方がよっぽど地獄だ!となると思うのです。だから、ガッツはキャスカを置いて復讐の旅に出ることにさほど躊躇がなかったのですが、今は、キャスカなしには生きていけないかのようです。
何故か?これはそのまま描かれていますね。彼女がガッツにとって唯一の希望であったと気がつかなかったと。最初、何処にいようと逃れようのない絶望としての存在していた彼女が、実は命があって絶対に守らなくてはならない希望だったと気づいた、と。誰が?作者が(笑)
まあ、そのため、ガッツが復讐の旅から帰ったら、いつのまにかキャスカが正気に戻ってた…という結末にし辛い展開になってますね。

そういった、世界の構造自体は変わらないのに、それを描く視点が“蝕”を境に一転している。「黄金時代編」を長い年月をかけ、蝕のカタスストロフ自体も数百ページにわたってネッチリ描いた結果、何と言うか、それまで作品の中で渦巻いていたドロドロとしたマグマのような“毒”が漂白されたんだなあ…。というのが僕のベルセルク論です。
普通、“毒”をウリにしていた作品が毒を失ってしまうのは、ほとんどいい結果をもたらさないものだけど、…端的に言うとつまらなくなるものだけど『ベルセルク』はかえって、その世界さえも冷静に捉える目ができたというか、一段も二段も深みが出てきたと思っています。その証拠にルカやニーナ(そしてモズグス様の)生き生きとした事!それまで登場する優しい人たちって、どこか型にはまったというか、おざなりだった。この身を悪にそめても歯を食いしばって生きている人間じゃなきゃ生きる価値さえ与えてないような描き方だったこの世界は確実に変わったと思います。濁だけだった(あるいはその方が圧倒的な比重を占めた)『ベルセルク』の世界は、清濁併せ呑んだ世界になったと思います。

もともと「黄金時代編」を描き切るパワー自体が尋常じゃないのでしょうね。ガッツの怒りの根拠に、親友に裏切られた事からさらに“自分が今まで積み上げた現実世界が突然何の意味も無く崩壊した”という事を上乗せするため、本来読者にとって現実世界とはかけ離れているガッツの現実世界を共感たらしめた上でその世界を崩壊たらしめるというやり方を選び、グリフィスとガッツの関係の積み上げにごまかしを無くすために敢えて物語を省略せずページを積み上げるというやり方は、直球過ぎて、朴訥過ぎて、スマートさからはかけ離れていますが。やった事は。全部。無駄になっていない。
最初から優しいキャラが描けていたら、こうなったかどうか分からない。この世界はどちらにも振り切る事ができる。この作者は生と死のどちらのカードも切り札として持っている(普通、生きている事を切り札にできる作家はそうはいない)。だから誰かが死んでしまったらすごいショックだし、誰かが生きていたらすごい嬉しい。
いいいマンガになっていると思います。素晴らしい結末を期待しています。

(おまけ)
LD「…結局、モズグス様ってどうしてああなったの?何か今一つよくわかってないんだけど(←たまごっちさんの仕業だという事がよく分かってなかった)」
GiGi「グリフィス転生の余波が来てたんでしょ」
LD「…そうなんだ。本当に、ただ、それだけなんだ」
GiGi「でも、モズグスにとっては神の奇跡以外の何物でもなかったろうね」
LD「……ああ、そうだね。それも本当にそうだね」

モズグス様にとってゴットハンドやその使徒たちは“神”と呼べるものではないかもしれない。でも、彼の身の上に起きた出来事は、何であれ間違い無く神の奇跡だったんだと…ううう、感動的だなあ。僕はちょっと涙ぐんで空を見上げるのでした。

モズグス様フォーエヴァー!!(おしまい)

2002/01/22
整形 2011/11/12

  1. モズグス様フォーエヴァー 序文
  2. モズグス様フォーエヴァー モズグス様言行録
  3. モズグス様フォーエヴァー ルカとジェローム
  4. モズグス様フォーエヴァー ニーナの冒険
  5. モズグス様フォーエヴァー そして、作品論へ